日本史勉強会(その14)
「安土」という地名は、一体どこからきているのか。
「平安楽土」という言葉に鍵があると、井沢氏は言います。
「安土」が「平安楽土」からきているのではないかという人は今までからあったので、
何をいまさら・・・・と思う人がいるだろう。
しかし、なぜ「平安楽土」説が定説とならなかったのか。それは「平安楽土」を採用したか
という理由を、今まで誰も明確に説明できなかったからだと、氏はいいます。
逆にいえば、なぜ信長が平安楽土を採用したかという説明さえつけばこの説はもっとも
有力な説として復活する。
その説明というのは、当時の人にとっては極めて当たり前であったことから記録されなかった
ということでないといけない。あたりまえでないことは記録されるが、
「当たり前のことは記録されない」という氏の主張です。
そこで、氏は、明確に説明しています。
(※「逆説の日本史」には、ここに地図が載ってあるのですが、このブログでは地図を示せな
いので残念です。)
「安土」というのは、京の都、すなわち「平安京」に対抗してつけた名前である。
信長は、武士の頂点に立ち、自身による独裁国家を建設しようとしていた。その信長が天皇
(公家)の都である平安京に対抗して作ったのが、武士の都安土(平安楽土)である。
源頼朝でさえ、鎌倉を別の地名に変えようとはしなかった。信長は天皇の大権に挑戦したのだ。
(逆説の日本史 古代黎明編より)
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